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[転載]「6.11新宿の運動に「参加しない」ことを強く呼びかけます。」
category: 転載 | author: conflictive.info
[転載] 

「6.11 新宿・原発やめろデモ!!!!!」に関して、 ネット上では、レイシスト・歴史修正主義者を壇上に上げ一緒に集会をすることが「シアトル以降のやり方」と思っている主催者側(?)の人物もいるようだが、さすがにそれは欧米の活動家を馬鹿にしすぎだろうと思う。ともかく、中身のない「異種混淆・多種多様性」信仰の行きつくところではある。(管理人・嶋田頼一)

追記

こういう日本人同士の馴れあい、あるいは日本人の中心性は揺るがない形で「外国人」を組み込んだ「国民戦線」は、最近では、TPP反対運動における右翼社民・保護主義者の中野剛志に対する左派の持ち上げぶりにも見て取れる。出版の分野では、すでに以文社や青土社から単行本が出版されており、『世界』や『現代思想』『オルタ』といった雑誌にも登場している。極右・在特会批判と新自由主義批判(そのほとんどは、日本の戦争・植民地支配責任を忌避した対米従属批判の自主独立論でしかないから、いまだに鳩山前政権を擁護していたりする)をしていれば「ラディカル」であると考えていたり、あるいは、「新自由主義」にさえ反対していれば排外主義者(「極右」だけではない)ですら「仲間」と思うのは、いい加減本当にやめるべきであるし、動員のために(?)、あるいは本気でそういったことを続けている左翼は積極的に批判されるべきである。

追記2(2011/06/11)

しかし一方で、このたび「植民地主義批判」を掲げる側にある、国外・他民族への支配・収奪を表す「植民地主義」という言葉を、日本国内の「大都市」と「地方」の差別・支配関係にもそのまま当てはめているか、区別を設けず使用する傾向には、若干疑問は感じている。

追記3

それ以前に、他の集会ゲストであった雨宮処凛は、「<佐藤優現象>」を主要に構成している週刊金曜日の編集委員であり、現代日本の左右の馴れあいを象徴する人物である。

*「追記4」は削除しました。2011/06/17

追記5 (以前掲載したものから紛らわしい表現を修正し、他も書き直したものを再掲載する。2011/07/16)

最後に、はじめに取り上げた人物による「シアトル以降」や「ゴメンナサイ・スタディーズ」などといった理解しがたい発言(後者は発想としてはありふれたものだが)にも関連して、河出書房新社の編集者・阿部晴政(取締役)の発言を取り上げてみたい。阿部は、これまでドゥルーズやジジェクなどの人文・現代思想書や、「運動」関連書籍を数多く手掛けてきており、『新しいアナキズムの系譜学』(高祖岩三郎著、2009年3月)の編集者でもある。いま確認できないが、『素人の乱』(二木信・松本哉編、2008年8月)も阿部の手によるものではなかったであろうか。しかし、同時に阿部は、2007年5月に同社で始まった〈14歳の世渡りシリーズ〉の「ハルマサ編集長」であり、そのシリーズからは、橋下徹、宮嶋茂樹、伊勢崎賢治、萱野稔人、武田邦彦といった名うてのレイシストやトンデモの著者の本や、『差別をしよう!』(ホーキング青山著、2009年9月)(注)などといった本が出版・発売されている。

阿部は、文庫版『「拉致」異論』(太田昌国著、河出文庫版は2008年3月)の編集者でもあるが、2009年4月5日の朝鮮民主主義人民共和国による人工衛星発射直後、〈14歳の世渡りシリーズ〉のウェブにおける「ハルマサ編集長のお悩み相談室」において、「いま、日本にある危機は・・・?」という記事を書いている(2009年4月10日付)。それは、「共和国のねらいは他国を騒がせて、注目を浴びること」・「大きく騒いで脅威をあおるような発言は(・・・)共和国の思うツボ」という言葉でわかるように〈共和国=悪〉という図式の上で、日本の核武装論を批判するものである。しかし、それはよくできた「極右批判」のつもりであったかもしれないが、日本による植民地支配の歴史は清算されないまま、日米同盟の「核の傘」によって戦争の脅威に晒され続けてきた国をさらに貶めないとできない反核論とは、いったい何なのであろうか。

ともかく、この阿部の発言は、岩波書店の護憲本の新聞広告に掲載される寸前までいったというキャッチコピー「確かに、ムカツク国はある。だからこそ、キレてはいけないのです。」と同種のものであるが、いくら右派(改憲・核)批判をしているつもりであっても、植民地主義的差別意識に基づいた排外主義自体は容認しているという点では相手と程度の差しかない(むしろそれを「戦略」としているのである)。こういった、暴力的で過激な排外主義か理性的で穏当な排外主義か、「ファシズム」か「リベラルなナショナリズム」かといったような、どちらも後者の選択が「民主主義の証明」として迫られることになる偽の選択肢の設定こそ拒否しなければならないのであり、そういった意味では、現在「震災ナショナリズム」「ポスト3.11の思想」などといったものを批判的に考えるなら、(阿部個人には何の恨みもないが)こういったリベラル左翼の〈前史〉の公的な検証も当然避けることはできないであろう。6月11日の出来事(結局、主催者側によって針谷という人物の登壇は中止にされたが)は当然その延長線上にあり、震災・原発事故後突然ストリートに姿を現した「シアトル以降」ではないからである。

(注)『差別をしよう!』の宣伝文を引用しておく(強調は引用者)。もちろん現在も販売されている。また、この本については、リンク先下段も参照のこと。

http://mag.kawade.co.jp/yowatari14/2009/08/post_151.html

みなさんの多くは、建前としてでも本気でもなんとなくであっても、あえて差別を肯定することには抵抗があるのではないでしょうか。でも、なぜ差別は良くないことなのでしょう?
その理由を説明するのに思わず言葉につまった人こそ、読んでいただきたい1冊です。
「ずっと差別されてきた」と語るホーキングさんによる、「差別をしよう」というメッセージ。発売は9月17日の予定です。ぜひ、読んでみてください!」

(補注 2011/07/30)すっかり見落としてしまっていたが、同じく〈14歳の世渡りシリーズ〉の雨宮処凛著『右翼と左翼はどうちがう?』(2007年5月)には、針谷大輔も登場している。もちろんそれだけの問題ではないが、事実として念のため書いておく。他には、木村三浩、古澤俊一(以上「右翼」)、太田昌国、足立正生、日野直近(以上「左翼」)が登場している。また同シリーズでは、雨宮処凛による原発本が刊行予定だそうである。

もう一つ書いておくと、震災・原発事故後の状況において日本と欧米の活動家の「言説的交流」を目的としてつくられたというウェブサイト「Japan - Fissures in the Planetary Apparatus」は、現在「メンテナンス休止中」ということであるが、再開後には、脱・反原発運動は植民地主義や歴史修正主義と共存すべきかについて、なんらかの見解を示してほしいと思う。あるいは、6月11日をめぐる出来事(「シアトル以降」)について海外の活動家に事実を伝えるくらいしてもいいのではないだろうか。特に、速報とはいえ(といっても6月15日付のものだが)、「六月一一日から、日本の反原発運動は新しい局面に、われわれが経験したことにない新しいサイクルに入りました。」(木下ちがや「6・11の世界一斉反原発行動について−−速報」)というような欣喜雀躍した文章を読んで首を傾げてしまったのは、私だけではないであろう。

▼参考記事

「日本‘リベラル’にだまされるな、もっと危険だ」(ハンギョレ・サランバン)
http://blog.livedoor.jp/hangyoreh/archives/1456224.html

「日本リベラルは右派の露骨な国家主義には反対する。彼らは非合理的で狂信的な右派とは区別される理性的な民主主義者を自任する。政党で言えば社民党や民主党左派勢力、新聞なら中道的<朝日新聞>がそこに属し、いわゆる日本の良心的知識人の大多数がそこに含まれるだろう。」

「徐教授は去る20年余りの間、日本リベラル知識人たちは思想的にどこまでも崩れ落ちてきたと見る。それが日本の悲劇だ。中間を自任するリベラルは右派の超党派的国粋主義や攻撃的国家主義を拒否するが、彼らと同じ日本‘国民’として享有する既得権に執着しつつ、自己中心的‘国民主義’へと崩れ落ちていった。この国民主義はある局面では右派の国粋・国家主義と対立関係を形成するが、植民支配を通じた略奪と労働搾取を通じて蓄積された日本国民の潤沢な経済生活や文化生活、すなわち 日本国民として享有する自分たちの既得権が外部の他者(または、内部の他者である在日外国人、すなわち‘非国民’)から脅威を受けていると感じる瞬間に右派との補完関係、共犯関係に切り替わる。その時、リベラルの多数はいつも両非難論を前面に出し傍観的で冷笑的な態度で一貫する。それが去る数十年間にわたり日本右派の台頭を決定的に助けてきた。外部の人々の目にはこのことがよく見えない。 そのためにはっきり見える右派よりリベラルの方がはるかに危険なこともあると徐教授は語る。

右派論理を批判するように見えながらも結局は日本国民的共同体の再建に執着する<敗戦後論>の加藤典洋を批判した‘戦後責任論’の首唱者、高橋 哲哉は“外部の被害者を代弁し日本同胞を糾弾する倫理主義者”との烙印を捺され孤立させられる。 徐教授は個人的‘罪’はなくとも 日本国民としての潤沢を楽しみながら‘今も続く植民地主義’を結果的に擁護する‘日本国民としての責任’は負わなければならないという高橋を、反対にナショナリズムの陥穽に捕われていると批判するフェミニスト上野千鶴子の考えこそが“ナショナリズム批判と戦後責任回避の転倒した結合”と鋭く批判する。」(強調は引用者)

以下転載------------------------------------------

hokusyu82北守

【拡散希望】左翼の友人諸君へ:植民地主義・差別・不平等の問題に他ならない原発の問題において、差別と侵略戦争を肯定する右翼の参加を拒まないならまだしも、壇上でアピールさせることは最早妥協不可能です。6.11新宿の運動に「参加しない」ことを強く呼びかけます。 #611shinjuku
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