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[リンク記事]スーパーゲームズワークショップエンターテイメント 「こういう「良識派」ぶった日本人学者の方がタチ悪い 」
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[リンク記事]

スーパーゲームズワークショップエンターテイメント

「こういう「良識派」ぶった日本人学者の方がタチ悪い」
http://sgwse.dou-jin.com/Entry/405/

「五十嵐にせよ宮武にせよこうした護憲派達に共通しているのは「北朝鮮は日本にとって安全保障上の脅威」という政府や軍拡派達の言い分を何の疑問も抱かず丸飲みしている点にある。こうした人々は「北朝鮮の脅威」を認めてしまった時点で護憲派の敗北は確定するのだという事に気付いていない。北朝鮮が日本に戦争を仕掛けてくるとでも本当に思っているのか? そんなはずはないだろう。むしろ米軍基地を多く抱え、北朝鮮よりもはるかに巨額な防衛予算を費やし、かつてのアジア侵略に対するまともな謝罪も賠償もせず、そうした国々を嘲笑うかのように自国軍(自衛隊)を海外派兵しまくっている(南スーダン派兵では石油資源確保の為と公然と言っていた!)日本の方が、北朝鮮にとっても他のアジアの国々にとってもはるかに脅威ではないのか。
北朝鮮のみならず、今日本に戦争を仕掛けてくる国など存在しない。日本に軍事的脅威を与える国など存在しない(いや、ありましたね。他ならぬ在日米軍…)。むしろ日本こそ他の周辺諸国の脅威となっている。だから自衛隊などいらん、という当たり前の現実から出発しなければ自衛隊の存在、すなわち現在の日本が憲法に違反して持っている「軍隊と戦力」を否定する事はとてもおぼつかないのだ。

こうして考えてみると五十嵐や宮武のような人間が「北朝鮮の脅威」を現実として認めてしまい、それを扇動しているという点ではそこらのチンピラ右翼とさして違いがないし、日本の軍拡化に対する何の歯止めにもなりはしない。それどころか「防衛庁や自衛隊とすれば、五十嵐仁と宮武嶺に「感謝状」を贈りたいような気分でしょう」。戦争狂の右翼よりも、平和や護憲を主張する連中に「北朝鮮の脅威」を認めてもらって宣伝してもらった方がはるかに「宣伝効果」が高い事は言うまでもない。(中略)

この手の護憲派達を見ていて感じるのは、連中は日本の軍拡化や9条改憲といった事に対する危機意識や恐れが全くないのではないかという事だ。連中が本当に恐れているのはそんな事ではなく、「北朝鮮の肩を持ったり擁護している親朝派の非国民」呼ばわりされて自分が村八分にされる事ではなかろうか。だからこそ平和主義者や護憲派のような顔をしておきながら、平然と北朝鮮への誹謗中傷や脅威論を述べるという矛盾した行動が取れる。」
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[リンク]首都圏労働組合「声明:岡本厚・岩波書店取締役の『世界』編集長辞任に関して」
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[リンク]
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首都圏労働組合「声明:岡本厚・岩波書店取締役の『世界』編集長辞任に関して」
http://shutoken2007.blog88.fc2.com/blog-entry-42.html

「岡本は、佐藤のみならず、佐藤と関係の深い鈴木宗男や、鈴木とつながりが深いとされる小沢一郎らを積極的に『世界』誌面で起用し、擁護する論調の誌面構成を行なってきた。また、民主党への「政権交代」や民主党政権を、他に匹敵する雑誌がほとんどないほど一貫して擁護し続けてきた。佐藤優の積極的起用や右派政治家の宣伝等のこうした岡本の行為は、岡本が自賛するように、『世界』がいまだにマスコミや左派系のジャーナリズム・運動圏に一定の影響があるがゆえに、日本社会に大きな悪影響を及ぼしてきた。

また、2009年10月に出された「<佐藤優現象>に対抗する共同声明」では、『世界』執筆者や読者を含めた多くの人々の賛同の下、「(『世界』『週刊金曜日』その他の「人権」や「平和」を標榜する)メディアが佐藤氏を積極的に誌面等で起用することは、人権や平和に対する脅威と言わざるを得ない佐藤氏の発言に対する読者の違和感、抵抗感を弱める効果をもつことは明らかです。私たちは、佐藤氏の起用が一体どのような思考からもたらされ、いかなる政治的効果を持ち得るかについて、当該メディアの関係者が見直し、起用を直ちにやめることを強く求めます。」と主張されているにもかかわらず、岡本はこの呼びかけを完全に黙殺してきた。

また、岡本は、編集長になる以前から、実質的な改憲論である「平和基本法」の『世界』誌上での掲載を積極的に推し進め、編集長就任後も「平和基本法」に沿った「国際貢献」への自衛隊積極活用の主張を繰り返し掲載し、日本の護憲派の、安全保障基本法制定による解釈改憲容認論への移行を積極的に後押ししてきたのであって、こうした岡本の行為に対する90年代以降の多くの批判にもまともに答えようとしていない。

このような行為(不作為)が、岡本がこの編集後記で白々しく語る「朝鮮半島との関係を問うことは、即ち日本の近代のあり方を問うことである。日本社会に染み付いた強固な帝国意識、冷戦意識を問い、それと闘うことである。」などという発言と相反することは言うまでもない。これらの岡本の姿勢には、縁故採用に関する岩波書店の対応と同じく、徹底した厚顔無恥さと無責任さが如実に現れている。」
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[リンク]日朝国交「正常化」と植民地支配責任「福島は「植民地」なのか――高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』について」
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[リンク記事]

以前から「福島=植民地」論は、管見の範囲では、「ヘイトスピーチに反対する会」の一部の活動家が根強く主張してきており、最近では福島の原発収束作業に従事したという「プレカリアート」活動家がほぼ同様の主張を行っている(「原発収束作業の現場から ある運動家の報告」)。しかし、福島の原発事故を通じた「植民地(主義)」という言葉の濫用、「支配」という類似点を持って日本による植民地支配の加害の歴史を日本国内の都市と地方の格差問題といったものに混合・吸収してしまうことは、本来「植民地支配責任」という言葉によって問われている「日本人としての歴史的・政治的責任」を曖昧化させ、その責任の重みを<軽く>する役割を果たしているだけなのではないか。その点で、「福島=植民地」論は、一見「植民地主義批判」の形態を取りながらも、結果的に没歴史的で反動的な役割しか持つことができないのではないかと思う。(管理人・嶋田頼一)

以下引用-----------------------------------
ブログ「日朝国交「正常化」と植民地支配責任」
「福島は「植民地」なのか――高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』について」
http://kscykscy.exblog.jp/18115197/

「私はこうした安易な「植民地」概念の濫用は、植民地支配への正確な認識を妨げる結果を生むと思う。例えば、上の「類似点」をみても、第二の点は明らかに朝鮮植民地支配にはあてはまらない。基地や原発の設置と引き換えに「経済振興」が与えられるという構造は、高度成長期における開発主義国家の利益誘導ではあっても、植民地主義のそれではない。朝鮮植民地支配において物的・人的な収奪を可能にしたのは、見返りとしての「経済振興」ではなく、暴力である。高橋は植民地主義の問題を国内における地域間の差別と格差の問題に矮小化していると言わざるを得ない。

このように、高橋において「植民地」は概念というよりも地域間格差の比喩として用いられているのであるが、問題はそうまでしてなぜ福島=「植民地」という比喩を用いる必要があるのかである。これについて高橋は「私があえてその言葉を使おうと思うのは、日本国家の植民地主義的性格がいかに根深いかを強調するためにほかならない」と述べている。一種の戦略として「植民地」という言葉を用いているというのである。つまり、原発被害の延長線上に沖縄の米軍基地を展望し、そして他方で朝鮮・台湾への支配の歴史へと遡行しうるようなものとしての、「福島=植民地」規定とでもいえるだろうか。

 だが私はこうした論理構成は、高橋自身の「戦後責任」論の論理自体を覆す可能性すらある危うい議論だと思う。例えば沖縄の米軍基地の問題は、確かにそれを押し付けられた地域住民への被害の問題でもあるが、より本質的にはその銃口を向けられた相手に対する加害の問題――「他者」との関係の問題であるはずだ。歴史的にみるなら、沖縄の米軍が朝鮮、ベトナム、そして中国に対する脅威になり続けてきたこと、そしてそれを「復帰」後も日本政府と国民が支持し続けてきたことであろう。この点を外してしまうと、基地問題は他のいわゆる迷惑施設の問題と変わりが無くなってしまう。しかし、福島―沖縄―朝鮮・台湾を「植民地」で結ぶ、という発想は、「福島=植民地」というアクロバットな規定で「植民地」という本来「他者」であったものを日本という「自己」の内に取り込み、そこから「他者」無き沖縄、「他者」性を排除された朝鮮・台湾への共感を紡ごうとするものである。これはまさしく90年代における加藤典洋の論理ではないだろうか。」(強調は引用者)
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[転載] スカイツリー再開発で貧乏人を殺すな!4月14日(土)スカイツリー包囲デモへ!!
category: 転載 | author: conflictive.info
[転載]山谷ブログ-野宿者・失業者運動報告
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スカイツリー再開発で貧乏人を殺すな!4月14日(土)スカイツリー包囲デモへ!!

すべての持たざる者たちへ!

2012年現在、東京では5月の「スカイツリー」オープンにともない、足下の台東区・荒川区・墨田区・江東区などでは、街全体の再開発や再整備が急激にすすんでいます。そのことと並行するように、街のあらゆるところで、貧しい者たちが差別され、排除され、生きる権利を奪われるという動きが、激しくなっています。

昨年の冬には、国交省が「墨田自然再生工事」をタテマエに、荒川河川敷に住む野宿の仲間にたいして、三度にわたり、機動隊を動員し、小屋や看板等をなんの法的手続きすらなく、暴力的に強制撤去しました。フェンスやネットで仲間の小屋は囲い込まれ、毎日のように警告書をはられ、立ち退きを迫られてきています。

今年の2月8日には、公園の改修工事の名のもと、江東区亀戸の竪川河川敷公園に住む野宿の仲間たちにたいして、江東区による行政代執行という名の強制排除がおこなわれました。それはまさに、暴力そのものでした。行政代執行の対象地に残っていたひとりの仲間の小屋にたいして、200人ほどの役人、ガードマン、警察官が襲いかかり、小屋は破壊され、荷物はすべて強奪されました。その暴力を止めようとしていた仲間たちは殴られ蹴られ、踏みつけられ、引きずられ、多くのケガ人が出るという事態になりました。江東区は、真冬に強制排除を強行し、命の砦である小屋を奪い、そこに生きている野宿者に対して死ねと迫りました。現在も、竪川河川敷公園の野宿の仲間たちは、話し合いを拒否され、暴力的な追い出しにさらされており、いつ行政代執行が行われるかわからない緊張状態がずっとつづいています。

国交省も、江東区も、これだけの暴力、殺人行為をおこなっておきながら、なんの説明もなく開きなおり、話し合いを拒否し、強制排除の姿勢を崩していません。また、荒川や竪川、隅田川の排除だけではありません。日本中あらゆるところで、路上からの追い出しが激化しています。光り輝くイメージが喧伝されるスカイツリー建設の裏側で、これだけのことが起こっているのです。持たざる者にとって、スカイツリーとはまさに「差別と排除」の象徴でしかありません。

また、スカイツリーは、あの3月11日の東北大震災と、その後の福島原発事故からの「復興」の象徴なのだ、といったイメージもさかんに喧伝されています。しかし、原発事故はいまだに収束していません。東京電力の経営者や、原発事故を招いたこれまでの政治家、電力会社、御用学者、誤用メディアどもの責任は覆い隠され、なかったことにされながら、誰も処罰されることなく、放射能汚染による大量の被曝者と、原発事故の収束にかりだされる大量の被曝労働者を生み出し続け、再び原発の再稼動と、原発の輸出を実現するという形で、「復興」が強調されようとしているのです。
地方への歴史的な差別の中で原発を押し付けられ、大都市の「繁栄」のための電力をまかなってきた東北で事故は起き、多くの人は生まれ育った、汚染された土地からそれでも離れられず、あるいは泣く泣く土地を去って生きています。さらに、原発事故の「収束」作業に従事しているのも貧しい者たちです。日雇い労働者として全国からかきあつめられ、放射能に晒される過酷な作業のなかで、命を落とした人が、もうすでに沢山います。これまでもずっと、ウラン採掘から最終処分場に至るまで、世界中の貧しい人々を差別し、殺すことなしにはまわらない原発を、これからも動かしつづけようとしているのがニッポンです。自分の大切な人々や、財産を失った多くの人々の悲しみや苦しみを、かき消し、あたかも同じ事を繰り返すのだという宣言かのように「復興」や「繁栄」が叫ばれているのです。スカイツリーとは、そのための宣伝塔にほかなりません。

スカイツリーの足下で持たざる者が殺され、野垂れ死にを強いられる一方で、ゼネコン、財閥などの大資本はますます肥太っていこうとしています。金持ちと貧者の間の格差は広がりつづけていきます。私たちは、経済成長が人の幸せをつくりだすのだという「幻想」と、きっぱりと訣別すべきです。現にスカイツリー再開発によってどれだけの差別と排除が、悲しみや苦しみが生み出されているかを見てください。

再開発にわく街に掲げられる「がんばれニッポン」というポスター。それは、誰かを犠牲にした「繁栄」を呼びかけるためのスローガンではないでしょうか。ニッポンの、金持ちのためならば、日雇い労働者や野宿労働者は殺されたっていいのか。地方の人間は殺されたっていいのか。ニッポンが「繁栄」するためなら、「ニッポン人」ではない人間は、殺されたっていいのか。「がんばれニッポン」のスローガンの前に、抵抗する人々の声は無視され、「非国民だ」として攻撃されるでしょう。それは、人々の怒りをそらし、私たちを分断し、殺し合わせるための言葉です。人々を国家の奴隷にするための言葉です。

私たちは、戦後日本の高度経済成長が、「復興」が、国家が天皇の名の下に行ってきた数々の侵略をまったく省みることなく、朝鮮やベトナム戦争の加害当事者として、あるいはアジア各国への経済侵略という形で、多くの貧しい者たちを再び殺し、強奪してきた結果、可能になったことを忘れるわけにはいきません。人間をボロ雑巾のように使い捨てる政策の中で、山谷や釜ヶ崎などの日雇い労働者たちから搾り取り、殺し続けることによって可能になった「繁栄」だということを忘れるわけにはいきません。私たちは、天皇制に象徴されるような、私たちを殺し合わせてきたこのニッポン社会の論理と秩序そのものを変えていく必要があるのではないでしょうか。ニッポン社会の差別と無責任が、原発震災をきっかけにして、これほどまでに白日の下に晒された事態を前にしても、私たちは同じ過ちを繰り返し続けるのでしょうか。多くの人々を苦しめながら実現される「復興」も「繁栄」も、ウソであり、、私たちが真に幸せに、共に助け合って生きるためのたたかいとは、はっきりとちがうものです。

私たちが生きるこの社会には問題が山積みです。貧しい者と富める者との間の格差は広がりつづけ、貧困・不安定労働の問題はさらに深刻になっていくでしょう。この社会のあらゆるところで、人が人として生きる権利はないがしろにされていくでしょう。排外主義、ファシズム、在日外国人差別、障害者差別、民族差別、性差別、いじめ、原発、戦争、米軍基地、天皇制…。人権がふみにじられ、憎悪が煽られ、私たちがバラバラに分断されていくなかで、これらの状況を乗り越えていくために、ひとつひとつの問題がすべてつながっている、自分自身の問題なんだとして、みなで話し合い、協力しあっていかなければ、私たちの生活や尊厳は奪われ、失われていくばかりです。一人一人の力は弱いものであるからこそ、団結していく必要があります。今こそ、スカイツリーに象徴される差別や排除、侵略や暴力のつながりを断ち切り、根底から問い直し、作り変えていくための、「世直し」の時です。

ニッポンのために使い捨てられるな!!スカイツリーに殺されるな!!
ともに声をあげ、生きる権利を勝ちとろう!!

あなたの、デモへの参加をお待ちしています。

竪川河川敷公園野宿者有志、荒川野宿者有志、支援者有志、山谷争議団・反失実、山谷労働者福祉会館活動委員会

【連絡先】
東京都台東区日本堤1─25─11 山谷労働者福祉会館
Tel/Fax: 03-3876-7073
E-mail: san-ya@sanpal.co.jp
Blog: http://san-ya.at.webry.info
Twitter: @sanyadesu
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